2日に岩手の母が亡くなり、帰っていました
突然のことで、1週間の長いお別れの儀式を終えた今でも
まだ、受け入れられない気持ちでいっぱいでいます
2日私の実家から帰り、二人で夕食を終えた後の突然の電話でした
とにかく朝の始発に乗るべく、真夜中に荷物をこしらえ
出かけました
あちらは、翌日、こちらで言うお通夜のようなことが行われ
また翌日4日には、火葬、その後、参列していた抱いた方におでんを用意して
食べていただきます
5日は、火葬にも本葬にもこれない方が見え
6日には、明日のお葬式の準備や、お葬式の後納骨なので
お墓の準備をします(寒い地域で凍っているのでいろいろ準備が大変です)
そして7日、本葬、初七日、三十五日、その後納骨
そしてまた、高膳を並べてお食事をしていただきます
帰って、盛りかごの仕分けしておくばりの準備
大きな袋に2つ供養のお品を持って帰っていただきます
8日にはごあいさつといいお墓に行きお参り(親族中)で1週間の
供養が終わりました
信じられないくらい遠い親戚まで見えるので
主人も誰だか分からないという方もたくさん
長男でありながら、家を空けているので、何を言われても仕方が無いと
主人と二人でかなりの覚悟で帰りましたが、
最初はそっけなかった親族達も、1週間ずっと一緒で、お名前も覚え
今のこちらでの生活のこともお話しすることが出来て
最後の本葬のお膳の席で、ご挨拶に行ったときには
皆さん、こちらで幸せに暮らしているなら、それでいいんだと言って下さって
帰って頑張りなさいといってくださいました
皆さんに御世話になって
お父さんの、気持ちをくんだお葬式の儀式を無事終えることが出来ました
そして、京都から駆けつけてきてくれた両親にも・・・・
本当に感謝の気持ちでいっぱいです
ただ、お母さんに対しての後悔は消せません
もう12年も前でしょうか
瀬戸大橋が出来てすぐ、両親と瀬戸大橋をわたり淡路島
倉敷の旅行をしたことがあります
あのときのことを「あれが一番楽しかった、また行きたい」といっていたので
今年は、お父さんが行きたいといっていた宮島と一緒にどうあっても
実現しなくては、といっていた矢先だったのです
私がこんなに辛い気持ちでいるんですから、主人の心中は
もっともっと深く計り知れないものだと思います
もう後悔はしたくないから、おやじには・・・という主人の気持ちを
大切にして上げなくてはと思っています
それでも、会社のことも気になるし
娘の成人式もあって、帰ってくるしかありません
帰りがけ、私は残ると思っていたのでしょうか
「かっちゃも帰るのか」といった途端、なんともいえない悲しい顔をされた
お父さんの様子が辛く、涙顔で送ってくれ、
後ろ髪を引かれる思いばかりで帰ってきました
娘の成人式も無事追え、昨日写真は妹さんにメールで送ったので
すぐプリントしておじいちゃんに見せてもらったことと思います
そろそろ、お父さんに電話をかけます
これからは出来るだけ朝電話で声を聞こうと思っています
そして、キルトのほうも今日から動き出します
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