2011年1月30日日曜日

夢の木箱


毎日1個筒木箱を作ってらっしゃる方がいます
それぞれの木箱の中には、夢が詰まっているとおっしゃいます

この方、主人が若かりし頃、同じ職場の上司だった方で
私はお会いしたことはなかったのですが
毎年、それは本当にアートな年賀状を頂き、いろいろその方を思い描いていました
60年安保のころの方かなぁ~とか・・・・
それが昨年、年賀状が来なかったのです
それで主人ももう何十年と行き来も無かったのですが、気になってお電話したのがきっかけで
お付き合いが再会しました
その年は大病をされていたようですが
すっかりよくなられたようで、「ギャラリーで個展をするから」と聞き
拝見してきたわけです

主人からも聞いていたのですが、日展だったかで入賞されるほどの
才能ある方のようだったのですが
奥さんがなくなられてkら、毎日1個、木箱を作ってらっしゃるようです
本当に様々な木箱が、中の夢があふれ出してきそうな形相でいっぱいあるのです

私達は、娘のお誕生日のものを見つけ2個分けていただきました
それぞれの娘は、どんな夢を詰めるんでしょう

話しは飛んでしまいますが、
先日上の娘から赴任地が決まったよと連絡がありました
結局、親の反対の就職先を選んだのですが
絶対といっていた、総合職採用には付いてくれました
「最初の何年間は現場だよ」と聞かされていたので
愛知、ひょっとして最初から中国、コンビにも無いような地方
ひょっとして東大阪、あらぬ想像ばかりをかきたてていましたが
なんと今のマンションや大学のすぐそばが赴任地になりました
最初から実績のある部署においてもらって大丈夫かしら、不安ばかりの親心です
それでも本人なりの野望はあるらしく、
黙って見守るしかありません
すぐに、保証人の書類を持って帰ってくると思います
本人は、一人でマンションかりて独立と行っていましたが
発生する費用、保証金だけでなく、家電品なども含めはなして
あと二年、下の娘が大学なので、今までどおり住むように説得しろと、主人に言われています
(お姉ちゃんが出たら私は、もう少し狭い家賃お安いところに住むよ』といってくれていたので、
ちょっと家賃の負担が減るかなと思っていたのですが、思うようには行かないものです)

夢から大脱線してしまいましたが、
娘たちはそれぞれに秘めた夢を持っていてくれることを願い、
現実ばたばたのわが夫婦は、その方と接するたび、お手紙を拝見するたび
なんともいえない空気感を貰っています

2011年1月29日土曜日

どうしてこうも違ってくるの

私の風邪は完全復活したのですが
後、主人にしっかり引き継ぎ、やはりしんどくは無いのに
喉ばかりが辛い風邪でちょっとばて気味に・・・・・
何でもしっかり食べて食欲はあるので、安心ではあるのですが・・・・

話は変わって昨日は「もう食って帰ろうか」
「こってりしたもんくいたい!」と王将に行くことにしました
調度年末出来たばかりのお店のよこを通ったものですから・・・・・

やっぱり、私が好んで作らないレバニラ炒めのセットを主人は頼みました
私は、やっぱり酢豚
に餃子!ヲ二人で・・・・・
いつも王将は、京都からの帰り、170号線の京都の大山崎のインター近くで食べて帰るのですが
いつも、車をしばらくまたないと止められない大盛況ぶりで
京都の生徒さんから聞いた口コミに感謝のおいしくて満足のいく王将なのです

ところが、昨日の外環状の出来たての地元のは
餃子は冷たくてべとべと
酢豚のとろみはゼリーのようにかんかんで、
セットのから揚げはムネ肉のぱさぱさ、キャベツはうちの娘のほうがずっと上手に刻みます
ちょっと残念でした

同じようなことが、昨年夏にもありました
娘の大学で待ち合わせをして
調度夕食時、後すぐサークルに行くというので
大学のよこのくら寿司で済ませました
私は、おすし屋さんで、声に出して頼むのがちょっと、いえ、かなり苦手なので
くるくるは本当は味より手軽さですきなのですが
主人はいまひとつのようです
それでも、京都の娘の所のくら寿司は、ネタも大きく、臭みも無くて
主人も、「なかなか行けるやん」といっていたほど・・・
程なく、同じ感覚で、自宅の近くのくら寿司へ行ったらどうでしょう
こうも違うのです
ネタは小さく臭みがあって、ちょっと・・・・・・・・
同じチェーン店でもこんなに違いがあるんですね

何が言いたかったか
この違い=上に立つ人の裁量次第ということなのかなと
同じ中央から運ばれてくる原料で
料理され、お店の雰囲気つくりでこうも違ってくる
なんだか、自分と重ねあわせるところがあって怖くなってきました

作品展に行ったときや他の人と話したとき
あそこの教室は、ここがこうなのよねーとおっしゃる先生もあって
人ってよく見ているなーと怖くなったことを思い出しました

普段からの空気つくり、
信念を通すやり方、改めて考えるいい機会をもらったような気がしました

ちょっと大げさですが・・・

今乱れに乱れたペースで、用事がたまりっぱなしです
一つづつと言い聞かせながら、頑張っています
と言い訳しておいてHPの更新がまだです
スイマセン

2011年1月25日火曜日

せんべい汁

昨今B級グルメだのなんだの
せんべい汁も話題になりました

先日、母の供養の席でお隣になった、市役所を定年された方が、
お年寄り達が、もう口にもしたくない雑穀を町の名産品にした
仕掛けを本当に興味深く聞かせてくださいましたが、

せんべい汁も何処で全国区になったんでしょうね

そのせんべい汁
作り方は、私の岩手の郷土食の師匠、義妹HASBANDに
口伝えには教えてもらっていたのですが
(そうそう話しは飛びますが、くるみ餡も教えてもらいました。すり鉢ですりつぶした胡桃は
 真っ黒でいかにもあくが強そうで、びっくりなのですが、水を入れた途端、
 乳化して真っ白になるのには感動しました。あのお餅おいしかったです)
さばの水煮で出汁を採り、しょうゆで味を整え、せんべいはぱきっと割って
くつくつ、そこへお野菜を後から入れます
全員絶賛の最高のせんべい汁でした

で話しはまた飛び
妹さんからお出汁までセットされたせんべい汁を送ってもらったので
作りました

おなべいっぱい
しかもごぼうに白菜にんじんこんにゃく葱に・・・
とにかく野菜食いの主人好みにしました

二人で、どうしたもん!!
と思ったのですが、ほぼ主人がぺろりでした
こういううのに飢えていたんですねー
ここのところ体調が思わしくなく、かなり手抜きだったしなー


ちょっと間をおいて今度はひっつみでも作ろうと思います

2011年1月20日木曜日

えらい早い花粉やなぁ~

と思っていたら、風邪のようです

月曜日ごろから、鼻づまりと声枯れ・・・・なんか飛んでるのかな?
年々アレルギー症状がきつくなるな~
なんて思っていたのですが、ものを飲み込むと痛い!
これはひょっとして?

と喉ちんこを見てみたら、ぴんぽん玉が二つ
本当に久々に扁桃腺が腫れているではありませんか
まずい!これは熱の前触れ?

と大げさに言っていたら
「今日は寝てなさい」と主人の忠告で
水曜日は布団に我慢して入っていました
(熱もないし、節々も痛く何のです、寝れるはずもありません)

久々に、姜尚中さんを読み返しました
娘のゼミの先生が姜さんと近しい方のようで
私の話しをしたら、「彼はフェミニストだからね」とおっしゃっていたようですが、
いつも、書物を読ませていただいたら
若かりし頃、朝まででも語り合ったあんな熱い気持ちになれる気がしてきます
最近ではそんな青いような話しを出来る相手もいなくなり
なんとも寂しいような気持ちなのですが、
読んでいるうち、なんだか語り合っているようなそんな感じがしてくるのが不思議です
そして素直に、そうだよな~と反省一杯になってしまいます

ちょっとここのところ疲れもあったし
折り合いが合わない人があって、非難の気持ちも大きくなっていたので
いいお休みになりました

今朝も元気満タンと思っていたら
今日の自宅お稽古は、声が超異常で
聞くと今年の風邪は、私のような喉だけの風邪が流行りだとか・・・

きっと、先生うつさんといてな~と思ってられたでしょうね
どうか、うつってませんように ごめんなさい

今日も早く寝て明日に備えます

HP更新もう少しお待ちを・・・

2011年1月12日水曜日

後悔ばかりが・・・

2日に岩手の母が亡くなり、帰っていました

突然のことで、1週間の長いお別れの儀式を終えた今でも
まだ、受け入れられない気持ちでいっぱいでいます

2日私の実家から帰り、二人で夕食を終えた後の突然の電話でした
とにかく朝の始発に乗るべく、真夜中に荷物をこしらえ
出かけました

あちらは、翌日、こちらで言うお通夜のようなことが行われ
また翌日4日には、火葬、その後、参列していた抱いた方におでんを用意して
食べていただきます
5日は、火葬にも本葬にもこれない方が見え
6日には、明日のお葬式の準備や、お葬式の後納骨なので
お墓の準備をします(寒い地域で凍っているのでいろいろ準備が大変です)
そして7日、本葬、初七日、三十五日、その後納骨
そしてまた、高膳を並べてお食事をしていただきます
帰って、盛りかごの仕分けしておくばりの準備
大きな袋に2つ供養のお品を持って帰っていただきます
8日にはごあいさつといいお墓に行きお参り(親族中)で1週間の
供養が終わりました

信じられないくらい遠い親戚まで見えるので
主人も誰だか分からないという方もたくさん
長男でありながら、家を空けているので、何を言われても仕方が無いと
主人と二人でかなりの覚悟で帰りましたが、
最初はそっけなかった親族達も、1週間ずっと一緒で、お名前も覚え
今のこちらでの生活のこともお話しすることが出来て
最後の本葬のお膳の席で、ご挨拶に行ったときには
皆さん、こちらで幸せに暮らしているなら、それでいいんだと言って下さって
帰って頑張りなさいといってくださいました

皆さんに御世話になって
お父さんの、気持ちをくんだお葬式の儀式を無事終えることが出来ました
そして、京都から駆けつけてきてくれた両親にも・・・・
本当に感謝の気持ちでいっぱいです

ただ、お母さんに対しての後悔は消せません
もう12年も前でしょうか
瀬戸大橋が出来てすぐ、両親と瀬戸大橋をわたり淡路島
倉敷の旅行をしたことがあります
あのときのことを「あれが一番楽しかった、また行きたい」といっていたので
今年は、お父さんが行きたいといっていた宮島と一緒にどうあっても
実現しなくては、といっていた矢先だったのです
私がこんなに辛い気持ちでいるんですから、主人の心中は
もっともっと深く計り知れないものだと思います
もう後悔はしたくないから、おやじには・・・という主人の気持ちを
大切にして上げなくてはと思っています

それでも、会社のことも気になるし
娘の成人式もあって、帰ってくるしかありません
帰りがけ、私は残ると思っていたのでしょうか
「かっちゃも帰るのか」といった途端、なんともいえない悲しい顔をされた
お父さんの様子が辛く、涙顔で送ってくれ、
後ろ髪を引かれる思いばかりで帰ってきました

娘の成人式も無事追え、昨日写真は妹さんにメールで送ったので
すぐプリントしておじいちゃんに見せてもらったことと思います

そろそろ、お父さんに電話をかけます
これからは出来るだけ朝電話で声を聞こうと思っています

そして、キルトのほうも今日から動き出します